私は「日本語」好きである。日本語の包む温度や匂いがたまらなく愛しいのである。目で見た美しさがあり、耳で聞いた時の快さがあると思う。
ひらがな、カタカナ、漢字の組み合わせ、そして言葉と言葉の抱き合わせで、また新しくゆかしい匂いや色や彩が生まれるのはとても不思議な魅力であり、喋る言葉も、書く言葉も、もっと大切にしたい、もっと愛したいと思うのだ。
さような日本語好きの私にとって衝撃的な便りが届いた。それは『ニホンゴキトク』の文字。『日本語危篤』の意味である。今のように通信技術が豊かではない時代の電報文形式のカタカナ言葉…そのゴシック体のカタカナは当時のそれと同じく、危機感と悲愴感が漂う独特の冷たさ…。さてはて、どなたからの電報かしら?と小首を傾げつつ、私は急いで目を行(や)った。
さて私は向田邦子熱でもある。向田さんのこだわったであろう「昭和・家族・父と娘」、私は古き佳き日本に真の豊かさを感じさせられる。簡潔な中にのぞく「心配り・気遣い・思いやり」、何といってもあの小気味よくさわやかな調子が独特でたのもしいのである。
「こだわり」「古き佳き…」というと向田ワールドの「言葉」の魅力もこの上ない。今では置き去りにされてしまっているまさしく古き佳き言葉たちが、「モダン」や「ハイカラ」な外来品に実に絶妙にまぶされて登場する。重なりあい、交ざりあったときに生まれるそのテンポが粋で、洒落ていて、格好よく、それでいていかにも日本らしい、日本人の気持ちによく似合った言葉たちを遺していってくれた。想えば私の日本語好きは向田文学が原点なのかもしれない。
さて向田邦子原作または脚本のテレビドラマも私のお気に入りである。活字の世界とはまた異なり、映像での表現は難しいのでは?と思うところもあるが、嬉しいことに裏切られたことはかつて一度も無いように憶う。それどころかあらゆる面でそれこそ「心配り・気づかい・思いやり」の細かく行き届いた演出だ。それは向田さんと同じく日本語に、言葉に、ひいては日本に、または日本人にこだわり続ける演出家久世光彦氏との出会いであり、まさにその久世氏こそが私への”ウナ電”の送り主だったのだ。
向田さんが縁結びの彼からの至急電報はまさに切実で切羽詰まった面持ち…「…イサイフミ」約260ページにわたる委細文である。
<辛抱・癇癪・じれったい・半ちく・一丁前・小賢しい>
<喫む・ふかす・くゆらす>
<みれん・ねんごろ・うすなさけ>
<紅藤・青藤・藤紫>
そこには趣があり、可愛らしく、風情があって色っぽい日本のいい言葉たちが並んでいる。それに重ねて「言葉とか言い回しというものは、理屈さえ相手に伝わればいいものではない。言葉は感じるもの、色気だとか匂いだとか、肌触り、可笑しみ、のどかさ、涼しさ…。虚しさにはかなさ、熱き思いに、誰かに告げたい幸せ…。そのためだったら、言葉は多ければ多いほどいい。煩雑だとか、混乱だとか言って言葉の数を少なくしようとしているうちに、日本語はだんだん記号になっていく。(中略)昔の言葉だけがいいとは言わない。そのまま今に持ち込まれていいとも思わない。けれど私たちは大きな忘れ物をしてきたのも事実…(中略)<言葉>は生きている。生きているなら病気にもなるし、何かの加減で急に持ち直したりもする。たった一つの言葉が息を吹き返しただけで世の中が明るくなったり元気になることもある。彼らを生き返らせるもの、それは<言葉>への愛ではないか…」と結んでいる。
今ならまだ脈があるかもしれない。この紙面を拝借して私も急いで打電したい。
『ニホンゴキトク イサイフミ』
(琉球新報「晴読雨読」2000/3/5掲載)