私は雨が好きだ。特に休日に降る雨はたまらない。スコールのようでも、しとしとじれったい降り方でもどちらでもかまわない。とにかく休日は朝から晩まで雨であってほしい。雨になるとなぜか一日中ふんぞり返っていても許されるような気がして、でもそう思う私って余程の怠け者なのだろうか?ところが不思議である。雲ひとつない晴れた日ほど頭の中も澄みきっていそうなものだが、私の頭の中は雨の日ほど快調で、冴えている。本を読むにも文を書くにも、打ってつけの日だ。休日で何も手を付けたくないくせに、やけに仕事ははかどるし、集中力はあるし、雨の力は本当にありがたいやら…
思い出してみると、幼いころから雨が好きだった。外に出て遊び回っている年頃のはずなのに、なんと不健康な小学生であったことか。でも平日の雨では駄目である。土曜日、特に下校する時間に合わせて降ってくれるとうれしかった。水たまりにわざと入って、靴の中にびちょびちょに水をふくませて帰るのも土曜日だとこまらない(いや土曜に限らずやっていたかもしれないが…)午前中出勤の父に車で迎えにきてもらうのも、これまたご機嫌である。どちらにせよ、家に着くと、びしょ濡れの私に風邪をひかせまいとタオルで頭をぐしゃぐしゃにふいてくれるあの感触、そして母や祖母のやさしさがたまらなかった。
それと、もうひとつ我が家の土曜日のお昼はきまっておそばで、雨に濡れて冷えた体を、おいしく温めてくれた。今日は雨だから一日中家族みんなが家の中でのんびりと過ごすのだろうな…明日は日曜日だし…なんて幸せな週末なんだろう…と思うことで、おそばも格別においしかっったに違いない。旅公演だの、出張だのと両親が家にいない日が多かったせいか、休日、外に遊びに行くなんて何だかもったいない気がした。一緒にいられるうれしさと、そういう時間を与えてくれる雨に、感謝感謝だったのだ。
最近の私の「雨休日」はモーツァルトである。モーツァルトの調べには、頭をぐしゃぐしゃにぬぐってくれた母のあのぬくもりを感じるのだ。
(琉球新報「落ち穂」1996/10/9掲載)
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