ハレの日の役目を、平らかに終えた登野城字会の旗頭。私は幸運なことに、繕(つくろ)いの時をじっと待つ「オオゴチョウ 」との再会に恵まれたのである。それは年に一度の豊年祭いに仰ぎ見ることのできる村の象徴。澄みきった青天に映え、夏の宵闇に灯る旗飾りを前に、祭りの日の純真で敬虔な、あの心持ちになった。
「夜も遅くまで、約一ヶ月余りの時間をかけますでしょう…まるで娘を嫁に出す時のような心境ですよ。」修行中だった十八歳のころ、字会の長老や役員たちに交じって携ったのが始まり。二十歳を迎え「天川屋木工所」として独立したのを機に、旗頭製作の全てを任されるようになった。
幼い頃から手仕事が好きだった新城弘志さんは、いくつもの顔をお持ちの、実に多才な方である。先ず、雅石(がせき)の雅号で活躍する書家、篆刻師、そして画家・絵師である。またアンガマの面作りをはじめ、弥勒面、獅子頭、仏像などの修復・復元を手がける彫刻家・仏師でもある。茶箪笥やお仏壇などの家具を作る指物師でもあり、小物を扱う木工職人でもあろう。「この家も自分で造ったんですよ。八ヶ月ほどかかったけどね。」そんな手業(てわざ)と、美の世界の達人曰く「細かい仕事が続きますでしょう。外に出て、緑に囲まれていると、眼が癒やされるんですよ。」そう、新城さんは言わずと知れた盆栽作家の第一人者でもあるのだ。
さて、ライフワークの一つである旗頭製作は今年で51年目を迎える。「日頃、農作業で肉体労働をしていた昔の若者と、今の若者とでは、力が違うから、紙や針金の素材、塗料の重ね具合など、重量を考えて工夫しないと…。」また時代の変化は、高い建物の狭間におきる不規則なビル風や、張りめぐらされた電線により持ち手を悩ませる。そして、私たち観衆からすると、空の広さは限定され、寸断されてしまった…。
時の移り変わりの中で、新城さんがいつの時代もこだわり続けてきた旗頭の立体感。「どの角度から、どう見上げても、見栄えのする、また重々しい姿形をめざしたい。」
守り伝える部分と、新しい素材や技法を取り入れ、仕掛けや工夫を惜しみなく試みる部分との両輪により、新城さん独自の拵え(こしらえ)方を、日々追い求め、掘り下げるのであろう。
*「オオゴチョウ (黄紅蝶)」とは、登野城字会に伝わる旗頭・旗飾りの一つ。
(情報やいま「八重山人の肖像」 2006.11月号掲載)
コメント