至って古きものと、極めて新しいものに目がないのは、きっと父親譲りの性質であろう。他界した父が、今突然に甦ったら、この世の中の変わり様に甚だ興奮するに違いないと父のはしゃぐ姿を想像することがある。デジカメ、ホームシアターシステム、携帯電話、父ならきっと多機能な新機種に誰よりも先に、はまり込んでいたに違いない!
さて父が確実に夢中になっていただろうと思うものの一つに『パソコン』がある。私の暮らしの中、または仕事においても欠かすことのできないものとなり、つき合いは十年になった。最近では私自信の食欲不振や睡眠不足よりも、パソコンの不具合や故障の方が作業に差し障る時が多々あり…操作をするのは人間ではないか!と思いながらも、太刀打ちできないことがあるからまことに情けないものである。
インターネットも使いこなせるようになるまでは、マンガやSF映画のようなドキドキ感があったように思えるが、夢の世界のようだったヴァーチャルな感覚も、最近では近所のスーパーにお買い物に行く風である。スーパーですら一言も言葉を発せずに用を済ませてしまえるというのに、一歩も動かずに世界中のお店で買い物ができてしまうのだから「便利」というのは恐ろしいものである。今にお手洗いですら…と思える。
さて先日、いつものようにネットショップにて本の注文をした。三日後の夕方、「代金引換のお荷物ですよ」と到着の電話。ウキウキとして待つ。夜八時…九時…配達のお兄さんは待っても待っても現われない。ウキウキが段々とわじわじーに変わり…私はドタドタと電話をする。「すいませんねぇ…今結婚式に出席してるからさぁ…明日の朝、行きましょうねぇ?」おつりが出ないように、しっかりと小銭まで揃えて待っている私の身にもなってよ!と一瞬、腹が立ったものの、何だか気が抜けて、ほのぼのとしてしまった。メディアによると世の中は文明のアイテムに振り回され、依存症などという文明病に犯されているというが、おかげさまで私はどうにか、まだ大丈夫な気がしている。
(沖縄タイムス「唐獅子」2005/2/18掲載)
コメント