後生の正月、去る二月二四日が今年のその日でありました。父が「後生」いわゆる、のちの世で暮らすようになって、十四度目の正月(十六日祭)になりましょうか…一つ、一つ、年を重ねるごとに、墓前に集う親戚知人の思い出話にも、一つ、また一つと笑い声が重なるようになり、でも年を重ねる度に「どうしてこの中にパパがいないのかしら…」と横に抱く母は涙し…きっとこうして生きる道を紡いでいくのだろう、渡っていくのだろうと今年も節目の一つを重ねました。涙に感謝、笑いに感謝、どちらも私の、そして我が家の生きる力だなと、やっと思えるようになってきたのでしょう。
さて私の父は、絵を描くことを生きる道としていた人ですが、日中の仕事(どちらが本業だったのでしょうか?)は博物館の学芸員をしており、我が家は年がら年中、客人が絶えない家でありました。文化芸能、美術工芸などに携わる各国、各地からの博物館へのお客様を引き続きお連れしては、さぁ!第二部は我が家で…という具合だったのです。まぁ、何よりも人の出会い、集い、語らいを愛する父でありました。
八重山では年中の大きな行事の一つだということもあり、十六日祭も我が家の墓前は、実に多種多様な方々が座っていらっしゃったことを思い出します。いろいろなお顔を思い起こしながら、いつもそこには母の手料理がいっぱいに詰まった重箱を前に格別にご機嫌のよい父の姿があり…あの顔を私もおねだりしたい一心で今年も腕を振るうのでありましょう。
父の初十六日祭…それまでとは一転して、さみしくて、寒さの厳しい我が家の十六日祭を一緒に過ごしてくださった方がいらっしゃいます。のちにその時のことを『後生の正月』と題してエッセイにしてくださった水上のおじいちゃま(作家水上勉氏)。言葉少なく、静かに、そして大切に、我が家の節目の時間を一緒に越してくださいました。「今年は初十六日祭ですね…この世はまたさみしくなりますが、第二部は、うちの父と、ぜひ賑やかにやってくださいね。」
合掌
(沖縄タイムス「唐獅子」2005/3/4掲載)
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