それはまるでレンズのような大きな目に吸い寄せられるようだった。次から次へと連なる話は、身振り手振りも合わさって、さらに、さらに引き込まれ…いつしか自分の役目をすっかり忘れて、“石垣佳彦劇場”に夢中になっていた。
「石垣カメラ店」は、石垣さんが21歳のとき、崎山写真館での約7年間の見習い修行を経て、独立を果たした店である。「早くに父が亡くなったものだから、後に続く弟妹たちをどうしても高校までは行かせたくてね。早々、PTAしながら必死に働いたよ」。生活のため、弟妹を養うために、と決意した独立の道も、今年、47年目を迎えることとなる。新しく開かれる離島旅客ターミナルによるまちづくりに、今、新たな期待と希望を抱いている。
石垣さんは「写真屋さん」ですか、それとも「写真家さん」ですか、と尋ねた私に、「まぁ、いわゆる島の写真屋(やー)であり、そして一人の写真家であるな」と答えられた。絵画や彫刻とは違い、「写真」というアートは極めて瞬間的な表現芸術だと勝手に思い込み、半ば決め込んでいた私に「シャッターを切るその瞬間は一瞬かもしれない、でもね、例えば潮のいいころ合い待つ時間、光の射込む角度を見極める感覚、いわゆる自然と対話できる知識、そして運を待つ辛抱強さ、あの一瞬にはとてつもなく長い時間がかけられているわけだ!」。眩しく焚かれる閃光のごとく、衝撃的だった。石垣さんの生きてこられた人生分の時間が、あの一瞬に込められ、秘められている、と思うと私は興奮した。感動した。
「父は、厳しい人だったねぇ・・。島の自然とのつき合い方、そして精神力も鍛えられたね。早くに逝ってしまったのは、私に生きる力を教えるだめだったのかなぁ」。父親仕込みの逞しさ、そして、ひにくにも父親代わりをすることで得た生きる力は、その後のボーイスカウト活動に活かされる。隊長をつとめた35年間によって、その感覚はさらに研ぎ澄まされ、そしてまた「あの一瞬」へと蓄えられたのであろう。
あの真夏の鋭い陽光、潮鳴りのさざめく波間の輝き、ある時は風の色やにおい、そこに生きる人々の声までをも伝えてくれる石垣佳彦さんの世界。その眼(まなこ)の差す光に照らし出される次なる瞬間が、待ち遠しくてたまらない。
(情報やいま「八重山人の肖像」 2006.3月号掲載)
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