初めての奄美旅行である。石垣ー那覇ー奄美と海越飛行時間1時間三十分、距離にして約七五〇キロの北への道である。薩南諸島と琉球諸島の流れを南西諸島と言うのかどうか正しくは知らないが、奄美とは、弓形に縄を浮かべたような琉球弧と言われる南海の島々の北の門であるように私には思えるのだ。
その私が勝手に思う琉球弧の北の門は、ある時は薩摩の、いや日本の南の門であり、かと思えば、米国の占領下、そして今はもちろん鹿児島県である。いや私は今”もちろん”と書いたが今までに奄美のシマウタの三線の蛇皮腹を見る度にうれしく思い、心のどこかで奄美を沖縄の一部に考えていたところがあったかもしれない。これまた勝手な思いであった。
今旅、私は奄美の風に包まれてシマウタにふれることができた。私が歳を重ねたせいだろうか、もの哀しいような、せつないようなあのかん高い声は媚薬のような効き目を私に与えてくれた気がする。まだまだ中毒とまではいかないにしても、シマウタ抜きに奄美は語れない思いだ。ピンと強く張った弦に細い竹でかき鳴らすあの音がたまらない。弦を弾くたびに生じる竹の小さなうねりが見えるような、聞こえるような気がするのが心地よいのである。楽器そのものは沖縄の三線と同じだと思うが、音の連なりには確かに日本の音階が見え隠れする。といっても、その調べに私の血がさわぐのは、やはり琉球弧と言われる所以だろうか。
地理的、歴史的条件から、もしも日本と沖縄を個別の文化圏とし、あえて奄美を間(はざま)としたならば、まさにこの地は北と南の結びの地ではないかと私は思う。北から微かにたどりつく寒流と、それを抱き込むかのような藍黒色の暖かな水とが出会い交わる瞬間の美しさが、奄美には見えるような気がするのだ。
奄美が私に見せてくれた「間ーはざまー」とは自然と時間の織りなしの中の「異・同・融の美」だと思えるのである。
(琉球新報「落ち穂」1996/12/17掲載)
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