前略 向田邦子さま
この前、久しぶりにあなた様の綴られたお話しをテレビの朗読番組で読ませていただいてから、我が家の本棚に勝手に名付けた「向田邦子コーナー」から、何冊か取り出しては素敵な時間に取りつかれている私でございます。説得力のあるやさしい鋭さや、簡潔な中にのぞく「心くばり、気くばり、思いやり」、何といってもあの小気味よい独特の言いわましが私のリズムにあっているのでございます。
さて、私と向田さまとの出会いはテレビドラマの「阿修羅のごとく」だったように思います。たしか私が六歳の頃、今覚えているのはオープニングに流れていたオスマン‐トルコの軍隊行進曲のあの単調で無気味な四拍子だけ。ドラマの内容は全く覚えていないのですが、我が家の向田病のはじまりはその頃からだったように思います。
あなた様の描く向田家の姿に、母は明治生まれの両親のなつかしさを重ね涙々し…今の時代では想像つかぬ家族のかたちに、私は滑稽さと、大きなあこがれを抱くようになり…、今では頑固で不器用な男(ひと)に、男のなかの男らしさや、「男のやさしさ」を想う年ごろとなりました。家庭の中で、今の時代より偉大だったと思う家長・主・父という男の存在、そして「この人」に従いて生きる(生きていく)妻・母という女の姿…耐えて服従するという言い方はあまり好きではありませんが、そう想う妻心(おんなごころ)とそう想いを寄せられたわがままで厳格な夫たちを、私は羨ましく想い、美しささえ感じるのであります。それは何も男性優位を肯定しているわけでも、耐える女を美徳化しているわけでもなく、いつの世にも真に想い合える男と女の間には上下などないように思えるし、そう思いたいのです。
数限られた作品たちは、歳を重ねる私の中で、その時々の新しい想いを呼び起こし、人生相談にのってくれるというのに、我が家の「向田邦子コーナー」に新しい作品がふえることがないのを思うと、さびしいやら悔しいやら…
でもまたお手紙書きます。
(琉球新報「落ち穂」1996/11/28掲載)
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