そういえば私は、ここ1年間、旅に出る機会に恵まれているような気がする。それは踊りの公演旅行が主なのだが、岡山の倉敷、群馬の桐生など、その土地や、そこの人々との温かな出会いがたくさんあった。移動中の車や電車の窓の外をやさしく通りすぎるそこの土の匂いや風の色、そしてその土地に生きる人々の姿、その土地ならではの色々な出会いが、旅のいちばんの魅力ではないかと想う。少なくとも私にとってはそうなのである。
さて、我が沖縄県は観光立県、私の住む石垣市は観光都市宣言などと、私にはさっぱり訳のわからない宣言を揚げ…はて?「観光」っていったい何だろうと私は最近よく考えるのだ。
きらきらと透明な海に囲まれたこの島に人口ビーチなんぞを造ることが観光というものなのか。都会から田舎までどこに行ってもかわり映えのしないリゾートホテルとやらも、どうもいただけない。そうすることが観光地として発展しているということだと考えているのであれば、それは違うような気がするし、さびしくなり、恐ろしささえ感じるのだ。
沖縄の人々が「観光」ということに意識し始めた頃、南国特有の青い海や空の美しさはもちろんのこと、地理的に暖かな気候、歴史的にに苦道を力強く歩いてきた沖縄人の明るさや大らかさ、厳かな祭の心、暮らしの中の歌や踊り、この沖縄は、それこそ沖縄独特の宝をたくさん秘めている。それを誇りに思う気持ちからではないだろうか。
「観光」とは意識して造ったり、用意したりすることではないし、そうできるものではない。島に暮らす私たちがこの島を愛していること、そして大切に思う心、同時にかまえることなく、気負うことなく、ありのままの姿を見ていただくことこそが、いちばんのおもてなしではないかと思うのだが…。
(琉球新報「落ち穂」1996/11/11掲載)
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