私は、何かが始まる前のあるいは何かを始める前の時間がとても好きだ。糸をぴんと張りつめたような心身の集注と緊張が何とも心地よいのである。
劇場に足を運ぶ日は、朝から、いや前の晩から、その心地である。
何を着ようか、歩いていこうか、雨は降らないだろうかと、まるで主人公気取りで、気持ちの高まりを楽しんでいる。劇場や映画館に入り、幕の上がる前のざわざわとした落ち着かない様子は「始まる前」の独特の空気…そして、いよいよとベルがなり、すぅっと場内が暗くなるとき、その瞬間が私の「心地よい集注」の絶頂である。
それが室内楽やオーケストラの演奏会だったりすると、なお面白い。
バイオリンというリーダーが各楽器たちののどの調子を確かめているかのような表情は、なんだかもったいぶっているようで楽しい気持ちになる。その後の演奏よりも、わくわくしたりするのだから、不思議である。
それは、今から始まる「何か」に対し、きっと感動するはずだという、大きな期待と少しの暗示もあるのであろうが…。私にとって、この瞬間が、心騒ぐときであり、「始まる前の雰囲気」とは、安らぎなのである。
「何かを始める前」の私も同じである。
絵を描く前に、パレットを手に、絵の具の各色を、お行儀よくならべているときの、うきうきした気持ち、いざ絵筆をにぎると、その気持ちが長続きするものでもないのだが…。
書を習う時、すずりに向かって墨をすると、墨のにおいが立ちこめてくる。「書を始める前」のなんともいえない、いいにおいと、この上ない落ち着きがある。休日に読書でもと、本屋に出かけ、いい本に巡り会って、大事に抱えて家路に着くまでの心持ちも、どこか似ているように思う。本を開くまでの時間の方がドキドキしていて、ご機嫌である。
生業というにはまだ未熟者だが、人生の表現に踊りの世界を選んだ私にとって、本番前の舞台裏は、まさに「始める・始まる前」の世界だ。鏡の前にくしを並べ、白粉を溶く。そして部屋中に立ちこめる椿油と鬢付(びんつけ)のあの匂い…。私の興奮剤であり、何よりもの精神安定剤である。
ひとつの公演の中で、いくつもの作品を踊るときがあるが、きりっと凛々しい男姿から、かわいらしい村娘までさまざまだ。一つ一つの作品は、時間にすると短いものではあるが、約二時間という限られた公演時間で、私という一人が、いろいろな人生を演じなくてはならないと受けとめている。舞台の袖幕を境に、たくさんの登場人物を通して「始める前」の世界を行ったり来たり…。何とも言葉にはできない私だけの快感である。
春という今の時期も始まる前の、あるいは始める前の心情である。新しいクラス、新しい生活…。出会いや喜びが巡ってくるような、清清しい季節である。私にも春の便りとともに、この日曜随筆担当のお役目をいただけることになった。もちろん文を書く前の心の緊張も楽しいはずなのだが、締切があるというだけで、趣味とは異なるようで、つらいこともある。原稿用紙を前に、いつまでも「始める前」の楽しさばかり味わっていると、まるで火付きの悪い花火のようである。
始める前の気持ちというのはごく短い時間に限り、心地よい集注と言えそうである。
(八重山毎日新聞「日曜随筆」1998/4/5掲載)
コメント