小学校に入学して間もないころ・・・ 十数年間、入退院を重ねていた祖母の病室で、消灯後の深夜、小さな明かりを頼りに原稿用紙に向かう母の姿があった。祖母のベッドの狭いわきに添うように広げた折り畳みベッドが、あのころの母の書斎であった。
ピアノと舞踊の教室、自らの公演活動、家事と子育てを見事にこなす・・・二十四時間を秒刻みで動きまわる母は、超人的、いや怪物的な人?だったと思い起こす。私なんて、いまだ独り者でありながら、なかなか真似ができず、いつもギリギリで追いかけられるばかり。頭が下がる思いである。
しかし、当時の母も原稿の締め切りにだけは追われていたように思う。石垣市内の沖縄タイムス八重山支局へ駆け込み提出のお供を、何度もさせてもらった。「もう少しのお時間を」と言う母に「大丈夫ですよ。ファックスで送りますから」。家庭用ファックスがまだ普及していなかったころ、支局へ行く度に便利なものがあるものだとびっくりさせられたものだ。
あの夜、母が病室で綴っていた「唐獅子」執筆の依頼を私も頂戴することとなった。「原稿の送信はメールが使える方はなるべくメールにて」とアドレスが書き添えられている。IT化の波にうまく乗ることができた、というか乗ってしまった私の執筆は、今やパソコンの画面の原稿用紙に向かい、キーボードとマウスとやらでひたすら打つ。紙を無駄にすることもなく、打ち終えると入稿はメールでひとっ飛びの瞬間移送!なんと便利なことかと思いつつも、味も素っ気もないものになりゃしないかと心配になる。
書く、綴る、認(したた)める。冬の寒さに恋しさがつのる、人肌のようなあったかい言葉を連ねたいと思う。深い夜に刻みこまれた、あの母の記しのように・・・。
(沖縄タイムス「唐獅子」2005/1/7掲載)
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