小学生のころ、「こども博物館 夏休み特別講座(市立八重山博物館主催)」は、私にとって夏のお決まりのスケジュールだった。連日の激暑・炎暑の中、あのひんやりとした博物館独特の空間で、ちょっぴりおませな時間にうっとりしたことを、今でもよく思い出す。
何と言っても私のお気に入りのプログラムは、石垣久雄先生のお祭りや歴史のお話し。何だか難しくて、肩のこりそうなお勉強も、あのひょうきんで、コミカルな久雄先生だと、それはまるで種子取祭の狂言のよう…。私は、その時に配られた何枚かのプリントを、綴りの中から久しぶりに引っ張り出して、遠い夏の記憶に思いを馳せていた。
竹富島生まれの石垣久雄さんは、琉球大学の史学科を卒業後、小浜小中学校を振り出しに、県立八重山高等学校校長に至るまで、38年間の教職人生を歩まれた。また、八重山各地の歴史や祭事に関する論文の発表も、数多く重ねておられる郷土史家でもある。
「専門は中学・高校の日本史。でも小浜小中では、技術も音楽も教えたよ。ところが専門知識がないから、疑似餌作りをして、イカを5匹釣ってきたら5点!。また小浜節を唄えたら5点!という具合。私も若かった。子供達と体当たりの日々でしたよ」。それはまさしく生きる力を育てる場、そして島を愛する心を育む時間…。今、まさに見直されている「地域に根ざした教育」「ゆとりある教育」の原点を思わせるようなお話に、私は夢中になって聞き入った。
私の中に抱く、もう一つの久雄先生、それは生まれ島、竹富島の『種子取祭』での「祭りの顔」。竹富島は玻座真村に伝わる民俗芸能を受け継がれるお一人でもある。忍苦の暮らしを強いられてきたであろう島人たちが紡ぎ出し、織りなした珠玉の歌謡、多彩な舞踊・狂言。そして感謝と祈りの心。「昔と違って、今は農業で暮らしているわけじゃない。でも不思議だよ。祭りの日の、神聖で荘厳なあの気持ちだけは変らない。それこそ大切に受け継いでいきたいものだね!」。
島の移り変わりも激動のこの時代だからこそ、少し立ち止まってみる、そしてこの八重山が、新たに刻み込む足取りを、しっかりと見極められる人間でありましょう!と、私はお約束を交わした。
「ひいては、島の明日を担う子供たちのため、これは私たち大人に課せられた、重大な役目ですからね」。
(情報やいま「八重山人の肖像」 2006.5月号掲載)
コメント