携帯電話の始まりは、一九七九年、東京二十三区内で開始された「自動車電話サービス」だそうです。高額な新規加入料、保証金、基本使用料、通話料金、何といっても驚くのは、七キログラムという重量でしょう。
次第に小型化と軽量化が進み、機能面は電話本来の役目に加え、最近ではインターネット、カメラ機能は当り前、ラジオにテレビに…等々。当初、モノクロ画面に、文字は英数字とカタカナの入力しかできなかったなんて今ではとても信じられません。ましてや、ちょっとした機材を車に積んでいるような時代からは本当に夢のような進化と普及なのでしょう。おかげさまで我が家では最近、八十五歳目前の祖母までも携帯ユーザーになってしまいました。
今では、中・高校生だけでなく、多くの小学生が携帯電話を持っているといいます。それにはいろいろな時代背景も影響しているのでしょうが、携帯電話なんて無くて当り前の時代に、生まれ育ったことを、私は最近とても感謝しています。
さて「電話」というと思い出すことがあります。高校生の時、想いを寄せていた男の子がいて、その子の家の電話番号を誰からどうやって、それもいかに怪しまれずに聞き出そうかと悩んだものでした。さぁ第一関門をクリアしても、実はこの次こそ大変な試練で、寮生活中だった私は、一階の公衆電話の前で、受話器を上げたり、下ろしたり…お家の方が出られたらどうしよう…。その場合を想定して、何度も何度も繰り返しました。「夜分遅くに失礼いたします。私…」自分の心臓の音と重なって聞こえたあの時のベルの音は、今でも忘れられない私の大切な青春であります。失礼があってはいけない、それよりも何よりも好かれたい!と思うのは当然のことですよね。
目上の方への言葉使い、尋ねごとの仕方、お礼の言葉、夜分の電話など、成人するまでに身につけるべきことができなくなってきているように最近思います。個々が携帯電話を持つようになったことだけが原因ではないでしょうが、あの時の胸の高鳴り、緊張感、やっぱり大切ですよね。
(沖縄タイムス「唐獅子」2005/5/27掲載)
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