私の何よりものストレス解消法と元気増進法は本屋巡りであります。
先立つものが伴っているならばなおさら、それはそれは満ち足りた気分になるのでありましょうが、そうでなくとも本屋巡りは、この上ない幸福(しあわせ)時間なのであります。
本屋さんに出向いたとき、つい表紙がめくれたり、折れ曲がったりして、少し不満気に、そして不安気にこっちを見ている道路沿いの週刊誌たちがいます。それはまるで泥んこ遊びに夢中になっていた少年が、夕暮れどき家路につくころの表情とどこか似ていておもしろいもので…また本屋さんに入るとかすかに感じる紙の匂いや、本棚にお行儀よく並んではだれかを待ちわびているような本たちの表情が、私をわくわくさせてくれるのです。
今が主役!と、はつらつとした新書たちは、まるでピカピカのランドセルを背負った新一年生や、晴れ着に身を包んだ新成人の若者のようで頼もしく…奥の方でどっしりとかまえた歴史物は、まるで本屋の主のようで、たくましく見えるものです。
さて本屋巡りで私のいちばんのお楽しみごとは装丁(装訂・装幀)観賞です。いえ、「鑑賞」と言った方が適切かもしれません。出版作業の最終の仕上げであり、まとめである装丁とは、すなわち表紙・見返し、扉など、書物の形式面の調和美を創り上げる技術だとあります。
商品である書籍は、小売店であろうと、購入した読者であろうと、結局のところ大方は本棚に並べられてしまうのですから、本の「背」こそが本の「顔」だと思うのです。顔を見て、目があって手にとった本の全体が内容を反映させる雰囲気を持ち、かつ想像力をかき立ててくれるものだとなおさら好いでしょう。
でも本の内容とは関係なく、装丁とはそれだけでひとつの作品であり、芸術品であると思えます。
たとえば「藍とえび茶」や「墨に紅」のような大胆でかつ落ち着いた色使い、またさり気なく上品で、でもしっかりと存在感のある字体が私好みであります。無駄な「てかり」のない上質の和風の紙は、日本語をより美しく引き立ててくれて趣があるものです。
扉の色やその素材は、まるで和服の裾裏についた八掛(はっかけ)のようで、襟元やお袖内からちらちらとのぞく色気を感じ、ぞくぞくとするものです。
さて、本好きの私は、決して根っからの読書好きではありません。情報収集は最近ではもっぱらパソコンに頼ってしまっているほどです。それはそれでとても便利で、たよりのよい道具なのですが、美術鑑賞にはどうしても事足りず、ましてや、めまぐるしいスピードの通信世界で、液晶の画面とにらめっこしている時間が長ければ長いほど、紙や活字のぬくもりが恋しくて、いとしくて仕方がないものです。
もし先立つものがぜいたくに伴うときが訪れるのならば、お部屋の本棚に大切に並べた本たちを、まるでお気に入りの絵と向かい合うように、ぼーっと眺めては、きれいに着飾った本たちを、そして見事な装丁師の技をゆっくりと、ゆったりと味わいたいと思う今日このごろであります。
(八重山毎日新聞「日曜随筆」1998/12/27掲載)
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