夏が巡ってくると、思い出すことがあります。
胸がきゅーんとしめつけられるように甦ってくる夏が、いくつもあります。
それは夏独特の雨の音や、フクギの実のあの匂いや、男らしくわき立つ雲に誘われて私の心に帰ってくる「夏ものがたり」であります。
滝のように流れ出る汗を感じたとき、人一倍汗っかきの父のおかしな夏姿を想います。
少し黄ばんだアンダーシャツに、すててこの組合わせが父の五時後の夏衣でした。よれよれに、くたびれたその肌着を胸の下辺りまでたくし上げ、くるくると紙縒り(こより)上にして差し込んであります。ビールでふくれたご立派なお腹と女性顔負けの豊満な胸とに挟まれて止りが良いと見えます。不思議なことに片方の袖と、その反対側の足の裾とを巻き上げるのであります。そんなに暑いのならば両方とも、と思うのですが、今思えば父特有の美的感覚だったのかもしれません。それに加えて早食いで、汗をふきふき、箸の運びが忙しく、そばに居る者の方が暑苦しく思えたほどです。
冬の父はあまり寒くならない南の冬に嫌気がさしたのか、クーラーをがんがんに効かせては、こたつにもぐり、凍える中で熱燗を楽しんでおりましたので、それを考えると、汗の滴る夏をおもいっきり楽しんでいたのかもしれません。
父の夏姿といえば、向田邦子作「父の詫び状」の父は、夏麻(なつそ)の上下にパナマ帽で、小粋にしていらっしゃいました。夏中、男性はそうしてほしいと、夏がくるたびに憧れるのですが、この焦げるように暑い、いや熱い八重山では、いくら麻素材でも、つらい注文なのかもしれません。
さて麻の上下でなくとも、八重山の男たちが一番男らしく、素敵に感じるのも夏の季だと思います。
綱帯を下っ腹に、ぐいっとしめ、我が村の旗頭を導く若い衆の姿は、八重山に生まれ育った私にとって、何よりも男の色気を感じる時です。村の少年たちは、僕も早くああなりたいなと憧れを持ち、島の女たちは力強くたくましい夏の男たちにうっとりとするのでしょう。夏がくるたび、祭りのたびに、うっとりと惚れ惚れして、私はこの島に、この村に生まれて幸せ物だ、と血が騒ぐのであります。
朝、まるで狂ったかのように鳴く蝉声のけたたましさも、フクギに住むこうもりたちに守(も)られる静かな夜も、私のお気に入りの夏模様…
ゴーヤ-の緑、甘い香りのマンゴー、クバ扇の涼やかさ、夏木陰に吹く風の心地よさ…ならべるときりがなく、けだるい暑さの中にのぞく夏の彩に今日も酔いしれるのであります。
先日西表島で夏蚕(なつご)にお目にかかりました。どっさりと、てんこもりに盛られた桑の葉を必死にたくわえる姿はとても愛らしく、かと思えば、あの小さな体が絹糸を吐き生む姿のたくましさ、そして美しさに、ただただ感動いたしました。
今夏、私の「夏ものがたり」に綴られる、熱い熱い一ページであります。
(八重山毎日新聞「日曜随筆」1998/8/2掲載)
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