-夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か-
茜色に染まった空、地平線にたたみ込まれた雲、一日の終りを告げる日暮れのとんぼ達、姉やに負われているのは男の子だろうか…さびしいような、でも温かくそしてやさしいこの歌が私はとても好きである。
さて、この世界に登場する「とんぼ」、私はその赤とんぼに随分と悩まされた。長い間、私は赤とんぼというとんぼが本当に存在するものとは思っていなかったし、知らなかった。何色にでも染まるかのような透明な二対の羽が夕焼け空を飛んだとき、夕焼け色になるその時だけ「赤とんぼ」というとんぼに変身するものだと思っていた。それにそこの情景やその時によって、また見る人の心情によっても自由に衣裳変えのできるとんぼが、なんて美しいんだろうとさえ思っていたのだ。
そういえば、「とんぼのめがねは赤色めがね 夕焼け空を飛んだから…」という歌もあったと思う。
十五、六の頃だっただろうか、西表島のたんぼの中を飛んでいる本物の赤とんぼとご対面した。太陽が燦々と照る真っ昼間だったのに、そのとんぼは確かに全身が赤色だった。それは感激の対面でもあったが、それ以上に残念な思いがした。
赤とんぼは、ただの赤いとんぼだったのだ。
赤とんぼの正体を知ってしまったけれども、やっぱり私は夕映えした「赤とんぼ」の方が好きだ。だって私の赤とんぼは空色とんぼにも草色とんぼにも変化する七色とんぼなんですもの…。
姉やの背に負われて見たとんぼの赤と、今日の赤とんぼとは、さびしさの分、「赤」の彩(いろ)は、どう映ったのだろうか。もしかしたら、その男の子が見たとんぼも夕日で羽が染められた「夕焼けとんぼ」だったのでは…。
-夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先-
(琉球新報「落ち穂」1996/9/11掲載)
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