母と私の二人会の公演を終え一週間が過ぎた。まだ覚めやらぬ興奮と、何も手につかないような虚脱感とが入り混じって、心も体も何だか複雑な心地よさに、今だぼんやりとしている。
さて、昨年につづいて二度目の二人会である。新たな節目となる今回の舞台に私は師匠の作品である「しらべ」の演目をいただいた。この作品は師匠が昭和五八年に作舞した初めての創作作品で当時私は八歳であった。この十三年間、稽古場で、そして幾度かの舞台で母がこの作品を育てていく姿に私は娘としてたくさんの思い出と想いがある。それは今回の舞台を通して、あらためて私の中によみがえってきた大切な大切な宝物(想い)なのだ。
「しらべ」という母の新しい世界に出会ったとき、私は幼いながらに、なんて素敵でお洒落で陽気な動きなんだろうと心がはずんだことを覚えている。福木であざやかな黄色は、絹の持つ光沢とからみあって、日の光にたわむれる蝶の羽の輝きに見えた。また、まぁるくたどった舟底袖とキュッと片結びにした細い帯、そして長い木のジーファーでまとめられたうなじの髪が、何とも粋な蝶姿に思えた。でも今思うとそれは八つの少女にとって、見た目に蝶が舞い遊んでいる姿なのだとわかったことが、とてもご機嫌だったのかもしれない。
私も歳を重ねる中で、母のこの作品へ込める「想い」の部分が少しずつ理解できてきたような気がする。それは単に蝶の舞い姿ではなく、あの小気味よさと、ためにためた間の取り方に、破裂しそうな胸の高まりや、ときめく乙女心が表現されているように思えてきた。
幼いころから間近で見続けることができたことは、今回の舞台を初演として「私のしらべ」を創り上げていくうえで何よりの教えを受けたことだと悟(う)けとめている。師匠にいただいた言葉の「あなたの羽で…」もそれと重なることだと思えるのだ。
「しらべを育てるパートナーができました」といってくださる師・母の想いがたまらなくうれしく、ありがたい。
(琉球新報「落ち穂」1996/9/26掲載)
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