そっと目をとじると、心の中に蘇る鮮烈な映像がある。白い神衣に身をつつんだ司の神々しい背姿。誇らしげな男衆の顔に、歓喜に満ち満ちた女たちの声。厳かで清らかな聖なる時間・空間に、まるでわが身をおいているかのような臨場感と緊迫感に包まれたことを今でもよく想い出す。八重山のまつりシリーズ第一段『島々かいしゃ(ビデオ/平成8年制作)』との出会いは、まさに感動の瞬間であり、その巡りあいこそ、黒島剛さんの映像世界との、初めての時間であった。
「物心ついたころから、テレビ・映像の世界に関心があってね、でもあのころはまだNHKだけでねぇ…。」音楽に夢中だった中学時代…ギターを爪弾きながら静かにたぎらせてきた想いを胸に秘め、一人、島を出た。宮崎での高校時代を経て、東京のプロダクションで撮影修行を重ねる。そして現場で積み上げられた技術と、都会で磨かれた感覚を手に島へ戻ったのは二十代前半。石垣ケーブルテレビ勤務を経て、30歳で独立を果たした。
「もっと広い地域の皆さんに、自分の映像をお伝えしたい一心でね。」今でこそ日本最南端のプロダクションであることが何よりもの魅力であろうが…「こんな小さい島にプロダクションがあるの?という具合で、信頼を得るまでは大変だったよ。」と黒島さんは設立当初を思い返した。
島々の大自然をとらえるカメラは空撮から水中にまでわたり、その南国の映像素材は日本の夏を彩るCM制作へと広がりを見せる。また琉球朝日放送、日本テレビの通信員として、まさに島の「今」を伝える報道の役目も担っている。映画やテレビ番組のロケ撮影は八重山の島々に止まらず、中国やアフリカなど海外へも出向き、また那覇マラソンでは先頭走者をとらえるメインカメラマンをつとめるなど、広くその名を知られるカメラマン、プロダクションとなった。
[Vision Factory 映像工場]の歯車が回り始めてから、今年で16年を重ねる。十年ほど前からは、携列会社の八重山舞台による舞台監督や舞台演出をも手がけるようになり、今ではライフワークの一環となっている。
「何も無いところから創りだす作業が好きです。」と語る黒島さん。一人でも多くの方に伝えたい! 八重山の後世に残したい!という夢と共に、今日も新たな作品創りに一路邁進する。
(情報やいま「八重山人の肖像」 2007.1、2月号掲載)